もののあはれ

sakura

この季節、通勤から、営業や出張時の道のり、はては近在のスーパーへ出向く折にまで、日常の道行きに、沿道では桜の花が狂おしいほどに咲き誇る光景を目の当りにする。なにやら過剰に過ぎないかと思わぬでもない。
そんな風に思考する反面、昨今は桜の花を目にするごと、以前には到底抱くことのなかったある意味の感傷らしき想いがもたげてくるからふしぎなもの。我が感情は、若干の切なさと心地よさを感じつつ、桜が象徴する道理というか、はかなさ、無常観みたいなのを、そのまま受け入れてしまっているよう。昨年とは、あらゆる面で視点が変じたことを自覚する。
本居宣長ではないが、今であれば、ものとあわれが導く情感を理解できるように思う。